181028御朱印アートブックの旅 東京3 北東下見

行程:上野公園口→清水観音堂→五條天神社/花園稲荷神社→上野大仏→上野東照宮→上野大仏御朱印@清水観音堂→東京芸術大学→寛永寺→徳川慶喜公墓@谷中霊園→入谷鬼子母神→鷲神社→吉原神社→見返りの柳→目黄不動尊 永久寺 →浄閑寺→小塚原回向院→昼食@更科→素戔嗚神社→橋本左内墓旧套堂→千住大橋→千住大橋駅=柴又駅→帝釈天→矢切の渡し→帝釈天→柴又駅。366分、15.4Km

今日の散策は、御朱印アート 東京の3回目。上野から三ノ輪の辺りと帝釈天へ行ってきました。予定では西新井大師、江北氷川神社や四谷の須賀神社へも時間があれば行きたかったのですが、また別途
コラボ:かーさん、RYUさん
☆今日頂いた御朱印。左:清水観音堂、五條天神社/花園稲荷神社、中:上野大仏#清水観音堂でもらえる、右:上野東照宮、寛永寺、入谷鬼子母神
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 左:鷲神社、吉原神社の2枚、三大刑場の小塚原回向院 、中:浄閑寺、右:素戔嗚神社は両面の大作、帝釈天#素戔嗚神社、帝釈天は過去にいただいたもの
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§1.上野公園#案内図はこちら
 上野公園口で待合せて、まずは上野公園で頂ける御朱印10個 という上野公園を回る。上:上野駅の東西コンコースであるパンダ橋の前から、下左、下右上:天海僧正毛髪搭の前から#天海僧正は家康や家光に仕え、江戸幕府の形成に尽力しました、下右下:清水観音堂に到着
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 上中、下左:清水きよみず観音堂にて、上右:御朱印を頂き、清水観音堂の下から、西へ向かうと、上左:途中浮世絵行燈がたくさん、下左:花園稲荷神社の入口
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 上左:花園稲荷神社の本殿、上右:その下にある五條天神社、下左の2枚:御朱印は花園稲荷神社のは書置き、下中、下右:お化け灯籠は6.06m(20尺)もある巨大なもの#南禅寺、熱田神宮とともに日本三大灯籠だそうで、いずれも佐久間勝之が奉納
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 左:大佛パコダへ寄りまして、右上:上野大仏は本体は戦争時供出されて帰らなくて、右下左:顔だけの大仏
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 左上:精養軒へ回って、右上:五重塔が見える不忍口参道、表参道へ両方とも途中入りで、右下:境内案内図、左下;本殿へ。石灯籠は、ちょっと長くなりますが、180217武蔵野七福神の残り で訪れた狭山不動尊の大黒堂の裏の石灯籠や、161002川越七福神の下見 で行った仙波東照宮の石灯籠によく似ています。狭山不動尊は”増上寺など徳川家の資産を、西武が買収して、移築したため”となっている。石灯籠は徳川家のシンボルなのですね
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 左上:本殿は、手前の金色の唐門(中)と奥の金色殿、左中、左下:御三家灯籠が続き、右:御朱印を頂きました、
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 上:ボタン苑を右手に見て、下中:水舎門、下右:大石鳥居と参道を降る
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 ところが、”上野大仏の御朱印は清水観音堂だぁ”とぶっきらぼうに教えてもらったので、上:正岡子規野球場から再び清水観音堂へ戻り、下左:薬師如来のを頂きましたが、釈迦如来もあったみたいです#上野公園で10個のサイトを確認してください、下中:次のサイトへ移動しますが、コーラス団がいくつも歌っていました、下右:野口英世は福島県出身で我故郷の誇る偉人です
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§2.寛永寺
 上:公園の国立博物館側の出口へ行くと、”10/29はおしぼりの日!!”とおしぼりとお茶などのサービス中、下中:芸大前を通りますが、下左:こちらが美術館、下右:右手が奏楽堂、
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 上:芸大の長い塀を回って、寛永寺へ、下左:東叡山ってことは”東の叡山”#現在日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山ですが、そのあたりはこちら、下中:比叡山にも根がありますが、本堂の語源だそうです、下右:御朱印は力強いですね~
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 上左:次は徳川慶喜の眠る谷中墓地へ。代々将軍の菩提寺は日光か寛永寺か増上寺ですが、江戸幕府を終わらせたとして、菩提寺には入れないとして、谷中に入ったようです#寛永寺に蟄居した後、水戸を経て永らく駿府(現静岡県)に隠棲後、明治維新後は貴族院議員なども務めて、歴代将軍で最年長の長生きでした、
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 公墓の中の様子。下中:全体、下左:左が慶喜公墓#大正天皇や昭和天皇と同じ神式のお墓、下右:正室の美賀子様は権大納言今出川公久の娘であるが、いったん関白一条忠香の養女となってから慶喜に嫁いだため、明治天皇の皇后となった忠香の三女一条美子の義姉にあたるそうです#そう考えるとやはり会津への対処ってどんだけ~!!!
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§3.入谷~𠮷原~三ノ輪
 谷中霊園からは京成本線やJRを越えて鶯谷へ#言問通り。左上:途中交差点からスカイツリー、他:入谷鬼子母神へ。朝顔市が有名です、
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 日比谷線の入谷を越えて、上左:国際通りへ。もうじき鷲神社、他:11/1から酉の市で、準備に大わらわ!
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 上:鷲神社の隣の長國寺なんですが、酉の市としては一体化、下:吉原神社へ到着
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 上左:本殿、下右、上右:吉原地区の古地図があります、下左:天燈鬼・龍燈鬼ですが普通は寺院にあるんですが…運慶作の興福寺の国宝はこちら、下中:御朱印は2つ頂きました、
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 吉原神社から吉原の見返り柳へ#吉原から回ったので飛不動尊には行けず
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 上左1枚目:またスカイツリーがしかも裾から見えます、上左2枚目:途中一杯並んでいる天ぷら屋さん/下町人間庶務文化館、他:三ノ輪駅前の目黄不動尊 永久寺へ。ただしインターフォン鳴らしたら、”昼休み(12時から13時)だから出なおせ”って。時間も押しているのでパス、しかし目〇不動尊(五色不動)はまたまとめて歩いてみようかな?、下右:頂けなかった御朱印はこれみたい#円通寺も行けず、
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 上:永久寺からは近かったんですが#お隣、投込寺と言われた浄閑寺。でも遠回りして、本堂へ、下右:御朱印の赤いところは花魁ですね
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 左:境内の史跡の一覧とどこにあるか?、中:181014上神明神社+東海七福神で、鈴ヶ森刑場は東海道沿いの江戸の南側入口へ行きましたが、江戸の刑場は、ここ小塚原刑場は日光街道沿いの北側の入口、八王子市にあった甲州街道沿いの大和田刑場は西の入口と配置されています、右上:その昔“吉展ちゃん誘拐殺人事件”というのがありましたが、その吉展地蔵尊
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 上左:刑場跡の説明板、下左:墓のレイアウトだけ拡大#読みにくいね、上右:回向院の改造でこの場所に刑場跡ができたらしいですが、下中、下右:カール・ゴッチのお墓があります#江戸末期に刑場で死んだ?
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 カール・ゴッチの右隣りが、鼠小僧や高橋お傳の墓、上中:橋本左内の墓、上右:吉田松陰の墓#現在は松陰神社に移設、下左:御朱印は土日祝は書置きだそうです、下右:この刑場で死んだ人を解剖していたのが解体新書の杉田玄白らだったようです
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 だいぶ長く歩きましたが、吉原を出た時に天ぷら屋がありましたが、”我々は一体どこで昼食できますかね?”って言っておりましたが、左:トラフグ?#1000円位なので安過ぎ!、”不滅の巨人”って日本酒らしいですが、昼から日本酒は御免被ります、中:蕎麦屋さんを見つけれて#最近は時々なかなか昼飯や打上げができないということが多くて、”難民になっちゃった”と言ってます、右上:素戔嗚神社へ到着、右下:灯籠が新しくなってました#前は何もなかったみたい
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 上左:矢立をイメージした庭園。橋は千住大橋、川が隅田川、上右:川を渡った先には、御朱印の左側の絵ですね、下左:ここには富士塚がありましてその裏側、下中:本殿へお参りして、下右:本殿横を見たら、御神輿を動かしてました
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 下:もう3回目ですが、飛鳥社という富士講のお社、上右:七五三のシーズンですが、碁盤の儀というイベントがあるようです、右上:180310新東京十社のうち八社 に頂いた御朱印。両面の御朱印になります
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 上左2枚:隣の荒川ふるさと文化館の敷地にある橋本左内の墓旧套堂は、元々回向院にあったものが移設されたようです#回向院の刑場跡の整備で荒川区に寄贈したようです。左内の句碑の内容はこちら、下左:初めての隅田川越え#芭蕉気分?、上右2枚:橋を渡ると、”矢立”の碑、下右:富嶽三十六景 のうち、この従千住花街眺望ノ不二といいうものらしいです
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§4.柴又
 上左:京成線の千住大橋から柴又まで移動して、下中:改札を出ると、上右2枚:寅さんとさくらの像#さくらは似てないですね。さて、「男はつらいよ」新作製作が、10/31発表されました。50作目だそうです。誰が寅さんをやるのかと思ったら…詳しくはこちら、下右:参道のお店を見ながら帝釈天へ
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 左上:山田洋二監督の碑、帝釈天は日蓮宗の寺院、左下:下町の玉三郎がいるんですね、とらやは”妙法堂”なんですね、右上:人が一杯の二天門、右中:帝釈堂、右下:松が見事です
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 左上:二天門を境内の中からと本堂、左下:帝釈堂を斜めから、右上:大鐘楼、右下:170503柴又七福神巡りでもらった御朱印ですが、実はこれが初めての御朱印
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 左:これ以上回れない時間に廻れなくなったので、矢切の渡しへ、中下:ちょうど渡しが帰ってきました、右:とらや山へ戻ると人が少し減ってきたので、シャッターが押せました。寅さんの初期にロケ地になっていたそうです
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以上

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